授乳の苦労、我が子は混合栄養です!
授乳でこんなに苦労するとは思ってもいませんでした。
母乳が出なくてミルク(完ミ)か、そのまま母乳(直母)、直母とミルクの両方遣い(混合)の3通りしか考えていなかったからです。
私の場合、産後すぐから、母乳は少しずつですが出ていました。
でも、我が子は小さく生まれたせいなのか、母乳を上手に直接飲むことができず、毎回搾乳をして哺乳瓶で与えることになりました。
はじめは、ほんの20mLだけなのに、飲みきれなくて・・・。
搾乳もできない時はミルクを飲ませて、何とか哺乳瓶では飲めるようになりました。
毎回の搾乳が結構大変で、
真夜中も3時間おきにおむつ交換
↓
哺乳瓶を準備して授乳
↓
寝かしつけ
↓
次回分を搾乳
↓
寝たと思ったらすぐ泣き出す
の繰り返し。
寝不足でイライラして、実家で母にあたってしまう事もありました。
飲ませて終わりだったらどんなに楽か、と思いながらも、母乳が出ているのに「完ミ」にする決断もできなくて、ずっとがんばっていました。
生後1ヶ月の保健センターから助産師訪問では、「搾乳してまで母乳にこだわらなくて良いから、搾乳はやめなさい。」と言われて、落ち込みました。
でもやっぱり直母への憧れが捨てられなくて、そのまま搾乳生活は続けていました。
おっぱいを咥えさせる練習を続けながら、実際に直母で飲めるようになったのは、生後3ヶ月近くになった頃でした。
この頃ようやく3500gになり、口も大きくなって、吸う力もついてきたのだと思います。
しかし、直母だと疲れてしまうのか、満足するまで飲みきれないらしく、哺乳瓶で搾乳分を追加で飲むのが続きました。
真夜中の搾乳で寝不足が蓄積して、疲れもなかなか取れません。
定期的な搾乳なしで、普通の混合栄養のやり方になったのは、生後6ヶ月に入ってからでした。
周りのママさんの話を聞いていると、「産後しばらくは混合だったけど、途中で哺乳瓶を嫌がって飲まなくなった」という方もいたので、我が子は母乳もミルクも両方飲める子で助かったなと思います。
結局、1歳になるまで混合でやってきました。
帝王切開麻酔の影響が辛かった!
緊急帝王切開で行った全身麻酔の影響なのか、入院中は激しい頭痛に悩まされました。
この頭痛、起き上がっている体勢でいると激しくズキズキとなって、横になると少し治まります。
私にとっては、傷の痛みと同じくらい辛くて、無理して起き上がっていたら吐き気で動けなくなってしまうほどでした。
病院勤務時代、脳神経外科の病棟担当をしていた期間がありました。
そこで出会った「低髄液圧症(脳脊髄液減少症、髄液漏)」の症例。
この症状と産後の頭痛のパターンが似ていたので、麻酔の一時的な影響なのかなと思いながらも、頭痛が治るかすごく不安になっていました。
やはり、麻酔の影響だったのか、退院となる一週間で徐々に治まっていきました。
帝王切開経験者の義理の姉に聞くと、「一人目のときは頭痛はなかったけれど、二人目のときにはひどい頭痛があった」とのことです。
帝王切開後の頭痛は、みんながなるわけではないようですが、私だけではないようで。
我が子は小さく生まれたせいなのか、母乳を上手に直接飲むことができず、毎回搾乳をして哺乳瓶で与えることになりました。
頭痛がひどいときには、搾乳をするために座った姿勢でいることもできなかったので、少しずつ慣れてきた私は、ベッドに横になったまま搾乳するという技も身につけました。
子供のため、と必死だったな~と振り返ると思えます。
出産直後は精神的に不安定だったこともあり、泣きながら搾乳したこともありました。
出産の日は突然に!
先日、子供が1歳の誕生日を迎えました。
振り返ってみると、あっという間の一年間でした。
出産した日はいろんなことが慌しくて、記憶がぼんやりしているようで、それでいてはっきり覚えています。
私の人生で忘れられない日です。
予定日までまだ1ヶ月弱のあの日。
朝起きると、何だか尿意のような変な違和感がありました。
起き上がった瞬間、違和感の正体が分かり、頭の中が一瞬真っ白に。
下着やパジャマ、ベッドの上に血がべっとりと広がっていました。
妊娠期間を通して最大の出血具合でしたが、すぐに冷静さを取り戻して、病院へ連絡。
準備してあった入院セットを持って、病院へ急行しました。
入院セットの準備はつい2日前に完了したところで、「早めに用意しないと。」と急に思って準備をしていたので、何か感じるところがあったのかもしれません。
「このまま入院になって、次に帰ってくるのは赤ちゃんと一緒かな~。」
心臓がばくばくどきどきしているのに、どこか頭の中は冷静でもありました。
この時点では、この日のうちに出産するとはまったく思いもせず。
産院で診察を受け、
「出血が多くてこのままでは危険な状態。準備でき次第、帝王切開で出産しましょう。」
と言われ、そのまま手術の説明を受けました。
緊急帝王切開が決まって、急に不安になって涙があふれていました。
このときもずっと出血中。
付き添いの母から夫へ連絡してもらって、夫が一時間の道のりを慌てて到着。
顔を見てから、手術室へ向かいました。
手術台の前、麻酔・・・。すごく緊張・・・。
下半身だけの麻酔の予定が、途中から全身麻酔に変更されたので、次の記憶は病室です。
でも、麻酔の中では、「とてもいいにおいがする雲の上みたいな気持ちがいい場所にいて、どこか遠くから赤ちゃんの泣く声が聞こえていた。」ように感じていました。
目覚めた病室には夫、夫の両親、実母がそろっていて、無事に生まれたのだとすぐに分かりました。
しばらくして赤ちゃんとも初対面。涙が止まりませんでした。
医師から、「へその緒が短くて、普通分娩は無理だった。帝王切開で良かったよ。へその緒が胎盤の端から出ていたし、赤ちゃんが早く出してって知らせてくれたんだね。」
と言われ、また涙が出ました。
娘はいつも危険を知らせてくれて、無事に誕生してきてくれました。
結局、出血の原因が前置胎盤のためかははっきりしませんでしたが、無事に出産できたら関係なくなりました。
出生体重は2576g。
前回の妊婦検診から4日経っていましたが、推定体重から成長が止まっていました。
小さいけれど、力強い命。
生まれてきてくれたことに感謝、感動。
スタイを作ろう!
里帰り出産のために実家に帰省後、安静生活から解放されて、ようやく出産準備を本格的に始めました。
産院で指導を受けた入院セットや肌着など着せるもののの他に何がいるのか。
何か手作りしたいな~。
せっかく時間もあるし、気分も落ち着いているし。
・・・スタイを作ろう!
表側は、百円ショップセリアで買った手ぬぐいを使用。
アルパカ柄とフラミンゴ柄にしました。
布地を無駄なく使うために、本当は上下左右が分かりにくい柄にしたかったのですが、購入時期が夏場でなかったせいか、私の行った店舗ではあまり品数がなくて、赤ちゃん向けのかわいい柄の選択肢が多くありませんでした。
手ぬぐい1枚から、丸型(卵型)スタイ2枚、花型スタイ1枚を作ることができました。
中生地には、夫の首が伸びてしまった白いTシャツを使用。
最終的には見えないから、多少の黄ばみや色むらなんて気にしなくても大丈夫。
裏側は、手芸店で量り売りしていたダブルガーゼを使用。
手作りスタイの留め具について調べてみると、「マジックテープ派」と「スナップボタン派」の2種類に分かれているようでした。
私は、マジックテープの手縫いは大変そうだったので、スナップボタンを選択しました。
使用したのは、金属スナップではなくて、プラスチック製のスナップです。
スナップ付け専用の道具(パンチみたいなもの)を用意するのも、今後どれほど使うか分かりませんし、道具不要のプラスナップを探して購入しました。
「ワンタッチプラスナップ」という商品だったのですが、とっても便利!
ボタンが必要なアイテムを作る機会がまたあれば、使っていきたい商品です。
↑スナップボタンをつける前の状態。
安静生活からの解放!
里帰り出産は、もともと、妊娠34週から産院を転院する予定となっていました。
しかし、胎盤の位置が低いままだったため、早めに移動しておいたほうが良いと判断され、予定より早く妊娠30週から転院しました。
安静生活が2ヶ月続いていたので、久しぶりの約1時間の車移動で、座っているおしりが痛くなりました。
こんなに体力落ちちゃって、きちんと産めるかな・・・。
ちょっと心配になりました。
転院先での初めての検診では、胎盤が少し上がりつつあって、全前置胎盤から辺縁前置胎盤の状態になっていました。
この違い、大きいです!
この調子で子宮の入り口から2cm離れれば、自然分娩が可能になると言われます。
どんどん赤ちゃんが育つ中で、前置胎盤から解放されるんじゃないかと、希望も湧いてきました。
そして、前の産院では「絶対安静」「張り止め内服」だったのが、新しい産院では「少しずつ動いてOK」「内服なし」になりました。
ようやく出産用品などをそろえるために買い物に出たりできるようになり、気分転換もできました。
これまではずっとネットショッピングだけだったので、実際に目で見て買い物すると出産後のイメージもわきやすくなりました。
赤ちゃんの性別が知りたい!
赤ちゃんの性別を事前に知っておきたいかどうか。
私が通っていた産院では、先生があらかじめ聞いておいてくれました。
「性別が分かるようになったら、知りたい。」
一人目だから肌着とかすべてを準備しないといけないし、名前を考えるのにも性別は分かった方が良いかな、と考えて、毎回エコーのたびに聞いていました。
エコーでの判断なので、赤ちゃんの姿勢によっては判断できません。
娘はおなかにいたときから恥ずかしがり屋さんだったのか、エコーが始まると背中を向けてしまっていて、なかなか判別できませんでした。
結局、判断できたのは26週の検診のときでした。
知り合いの中には、出産まで性別を教えてもらえない産院だったという人もいます。
それぞれの病院の考え方もあるようです。
ただ、その方は検診で研修医の診察を受けている中で、
「Fです。」
と言っているのを聞いたそうで、出産前から「聞いちゃった。たぶん女の子だよ。」と言っていました。
FはFemale(女性)のことで、研修医は声に出して診察をしていたので分かってしまったということです。
実際に、女の子を出産されていました。