薬剤師新米ママ、育児奮闘中 ~あれ?育児書と全然違う!?

前置胎盤から緊急帝王切開で出産。薬剤師ママと一筋縄ではいかない我が子との日々。

続く安静生活、赤ちゃんの成長が救い!

妊娠24週、退院後の検診。

 

「まだこれから赤ちゃんが大きくなるにつれて、胎盤の位置も上がってくるから。」

「1ヶ月くらいしたら、前置胎盤じゃなくなるよ。」

入院中の看護師さんからの励ましもあって、自宅に帰ってから、なるべく前向きに考えるようにしていました。

不安が消えたわけではなかったので、夜になると泣けてくる日も少なくなかったです。

 

エコーでの推定体重は600gになり、順調に成長していました。

妊娠20週には300gほどだったので、この1ヶ月で2倍になっています。

はっきり胎動が感じられるようになってきていたので、生きているのは分かっていましたが、おなかの中でどれくらい育っているのか、検診を待ち遠しく思っていました。

しかし、前置胎盤の改善はいまいちで、変わらず安静生活を指示されました。

 

何度もエコー写真を見せられながら説明を受けているうちに、胎盤の位置など読み取れるようになってきました。

少しカルテ解読の役に立つかもしれない、と思ってみたり。

安静にしながらの体重管理って大変!

自宅での絶対安静生活で不安なこと。

 

どこまで安静でいられるかということ。

そして、動かないことによる体重増加・・・。

 

つわりで体重が約5kg減ったので、その分の貯金はあったものの、妊娠中期に入って赤ちゃんがどんどんと大きくなる時期でもあり、体重増加が悩みの種。

うっかりしていると、簡単に体重が増えていくので驚きました。

かといって、食事制限をするわけにもいかず。

退院のときに看護師さんから「体重増加しやすいから気をつける」ように言われていたので、ますます過敏になってしまいました。

 

動かない分、消化していないので食欲が増えるということはなく、体重激増という事態は避けられましたが、なかなか大変でした。

もともと太りやすい体質なので、体重管理は本当に辛かった・・・。

流産・早産の分かれ道、妊娠22週の壁!

 院長先生から、想定する中で最も困るのは、このまま赤ちゃんが出てきてしまう事だと説明されました。

妊娠22週を境に流産と早産が区別されます。

私が出血したのは20週目。

「もし現段階で生まれてしまった場合、助ける事は難しい。

たとえ22週になったところで生まれたとしても、現代の医療で命を繋げる事はできても、障害が残る可能性が高い。

ともかく今は安静にして、赤ちゃんがお腹の中で少しでも長く育つように。」

 

院長先生は厳しめの言葉を選んだのかもしれませんが、当時の私たち夫婦には深刻で重い言葉でした。

 

幸いな事に出血は4日間程でおさまり、1週間後に自宅退院できました。

しかし、絶対安静は継続中。

退院後しばらくは、また出血してしまうのではないかと動くのが怖くて、食事、トイレ、風呂以外はほとんど寝たきりのように過ごしていました。

この時は夫が1ヶ月間、介護休暇を取得できたので本当に助かりました。

到底ひとりでは乗り越えられなかったと思います。

そして、こんなにも居心地の悪いことばかりの私のおなかの中で、耐え抜いて大きくなっていった赤ちゃんの生命力に感謝です。

前置胎盤をネットで調べると怖くなった!

漠然としか知らなかった前置胎盤のこと。

入院して少し気持ちが落ち着いた頃、ネットで「前置胎盤」と検索して、情報収集をしていました。

 

しかし、調べてみると、出てくるのは出血に関する話ばかり。

出産で大量出血だとか、間に合わないと死んでしまうとか、怖くなる話ばかりでした。

数少ない体験談に深刻なものは見当たりませんでしたが、不安は消えず。

ただでさえ入院になってマイナス思考真っただ中の私、最悪のシナリオ方向にしか考えがいきません。

ベッドサイドへの回診でも、医師から「20週でこの出血は早いなぁ」と言われ、気分の落ち込みは増して、面会がいない時間は、孤独と不安で枕を濡らしてばかりでした。

 

入院中の気分が紛れた時といえば、産院で出される食事。

勤務していたところの病院食は、不味くないけど見た目はあんまり。

それに比べると、見た目は豪勢なのにカロリー控えめで貧血にも対応していて、お食事タイムが楽しみでした。

妊娠20週、大量出血で入院・・・前置胎盤が発覚!

順調と思って迎えた妊娠20週目。

 

その日も朝から仕事で、患者さんが多くてずっと立ったままで服薬指導をこなしていました。

午後に入り、人の波も少し途切れた頃、お手洗いに行ったときの事です。

まったく気づいていなかったのですが、白衣まで染みるほど、大量に出血していました。

血の塊のようなものもあって、見た瞬間に頭が真っ白になりました。

すぐに控え室で産院へ電話して、指示を仰ぐ事に。

私「生理の2日目みたいにたくさん出血があって。昼の時にはなくて。どうしたら良いですか?」

産院「今すぐ来てください。」

 

私は隣町へ電車通勤しているので、帰宅に30分ほどかかります。

夫に連絡後、薬局にタクシーを呼んでもらって帰りました。

病院へ向かう途中からは、ずっと涙があふれ、手の震えも止まりませんでした。

 

休診時間中の産院へ入れてもらい、緊急で診察を受け、医師から、

「出血の原因としては、前置胎盤が考えられます。」と告げられました。

このときまで、前置胎盤について気にした事もありませんでした。

まさか自分がそうなるとも思ってみなかったです。

 

「まだ20週ですから、これから位置が上がってくることも十分にあります。」

医師の言葉にも、素直に安心はできませんでした。

なんといっても、あの出血を目の当たりにしたのですから。

 

「出血がおさまるまで、入院です。」

通勤スタイルのまま、入院となり、絶対安静が言い渡されました。

 

この日は偶然にも夫が夜勤明けで家にいたため、着替えなどの準備をすべて頼めたので助かりました。

おなかの赤ちゃんがタイミングを見てくれていたのかなと思っています。

おなかの中では急速に成長が進んでいた!

母子手帳をもらって、妊婦検診はひとまず4週に1度になりました。

 

つわりで仕事を休んでしまった日もありましたが、出血もなく、無事に13週目に到達しました。

産院でエコーを見たとき、豆から一気に赤ちゃんの形に近づいていてとても感動!

おなかの中では、ものすごい勢いで成長していて、検診のたびに本当に驚かされました。

 

私のつわりは約15週目でおさまり、「安定期」と言われる時期に入っていきました。

安定期と言えば、芸能人などでも妊娠発表する方が増える時期であり、妊婦にとって活動しやすい時期です。

私は妊娠18週目のときに、近場の温泉へ夫婦2人で1泊旅行に出かけました。

この翌週には、戌の日でご祈祷。

ちょっと予定を詰め込みすぎたなと、後から考えると反省だらけです。

 

そして、20週目を迎えたその日。

私の妊婦生活を大きく変える事になる出来事が起こりました。

里帰り出産の分娩予約、地方の産院不足に直面!

妊娠9週目、母子手帳をもらいました。

 

実家の隣県に住んでいるので、初めての出産ということもあり、里帰り出産を希望していました。

実家のあたりは周辺の3市に分娩可能な産科がない中で、産科”3病院”を擁する、いわゆるお産難民が集まる地域です。

事前に、里帰り出産を受け付けているレディースクリニック”2ヶ所”に問い合わせて、母子手帳を交付後に分娩予約を取るように指示を受けていました。

 

母子手帳を受け取った日のうちに、分娩予約をするために電話。

私 「里帰り出産希望で、予定日決まりました。13日です。」

受付「分娩が多くて、その月の15日までは締め切りました。当院では受けられません。」

私「・・・え?半年以上先ですよね?2日ずれてるだけですけど、だめですか?」

受付「始めから通っている方を優先するので。」

 

1件目で、まさかの分娩予約失敗

地方の産院不足は予想以上に深刻でした。

 

慌てて連絡した2件目では、何とか無事に分娩予約を取る事ができました。

 

気軽に里帰り出産を選択したものの、分娩予約でこんなに焦って苦労するとは思いもしませんでした。

産院を選ぶというか、最終的に消去法で一択。

 

里帰り出産を希望するときは、地域の産科事情も調べておくのがお勧めです。